紀伊国屋ホールの翌日、33年ぶりに浅草を訪れました。
まだ久留米高専在学中、友人達とアルバイトで東京のボーリング屋へ行ってました。
叔父が経営していたビルの基礎工事屋で、時折しも【日本列島改造論・田中角栄】全盛の頃...(今、考えると明らかにバブル時代の始まりでしたね)単なるアルバイトでも日給1万円も貰える時代でした。
母校・久留米高専では春夏休みを利用して工業系の一般企業でアルバイトするって規則があり、毎年、様々な友人達と一ヶ月以上の飯場暮らしを経験していました。
長野県の山奥で高圧送電タワーの工事現場は電気も来てない廃屋で東北からの出稼ぎ組と一緒のお仕事。
食事は地元農家のおばちゃんが作りにきてくれるのですが、当時まだ大嫌いだったピーマン料理が数日続いたおかげで、克服できた事や薪を焚いての風呂当番や、ヘルメットにろうそくを立てての麻雀などなど...様々な思い出が残る経験です。
そんな記憶の中、浅草の現場は大きな印象として残っています。
浅草寺の雷門をくぐり、左に折れた2本目の筋がオレンジ通り、浅草公会堂の斜め前のビル建設現場に通ったのが19才の夏休み。
車の免許を取ってましたので川崎市高津区の本社寮から、人夫さん達を乗せたカローラ・ライトバンを運転した事も強い印象となっているのかも知れません。
浅草公会堂へ仕事で訪れたタレント・渋谷哲平に遭ったのもこの現場の前でした。
実は若い頃、渋谷哲平に似ていると言われた事があり、本人と明らかに目が合い、暫し見つめ合うという出来事もありました。(笑)
この付近も太平洋戦争末期、B29による焼夷弾で、数十cmも掘ると焦土が現れます。
雨で工事が中止になったとき、出稼ぎのおっちゃん達と花屋敷手前のアジア的飲み屋ストリートで飲んだビールも美味しかったなぁ。。
いろんな思い出がある現場をいつか訪れたいと思ってましたので、今回、帰りの飛行機を遅い時間にし、立ち寄った次第です。
隣のビルが変わってましたが、明らかにこのレンガ色のビルです。
34年経った今も元気に建ってました!
あいにくの雨でやや霞んでましたが、仲見世通りから東京スカイツリーと初めての対面。
周囲に大きなビルがない事もあり、東京タワーとは桁違いの偉容を誇ってます。
東京タワーと同い年だからなのか...負けじと頭上に載っけてみました。(笑)
話は変わり、来週月曜18日、久留米のイベント広場【ロッカクドー】で開催される【BAKAMON Vol.3】に出演する先輩バンドで応援ドラムを叩く事になり、早速のリハ...屋外なので暑いでしょうが、お昼過ぎくらいの出番です。
台風が気になりますが、お近くにお立ち寄りの際は声をかけて下さ〜い。